知らない街を故郷にする

東北留学

第2期最後のイベントが….というか、これ以前とこれ以降でイベントへの捉え方そのものが大きく変化し、旅先での「奇跡」を最大限に信じるようになった。

この日のために全てがあったといっても過言ではないくらいに良いイベントであったし、ありとあらゆるものを詰めた。

なお、この最終日の次の日、僕は物理的に死にかけた。

死にかけたことによって、本気で人生について考え始め、生きることに本気になり始めたきっかけでもあったかもしれない。
ちなみに、初めて地域に密接に関わったイベントでもあった



東北留学1日目 好きで伝えるプレゼン講座特別編

誰がツアーの参加者で、誰が地元の人なのか。
よくわからない感じで進行しまくっている東北留学。
前夜祭として、栃木の某大学の卒業式にフラっと現れたり、仙台のゲストハウスに行ってゲストハウスの仲間とともにカラオケに行く。
「いや~!東北留学楽しかったね~!」
という声が上がるほどに妙な盛り上がりを見せたものの、日に日にツアーの楽しさのレベルが高くなっていくのが恐ろしい()
とりあえず、なんやかんやで2日目ですがここまでを振り返る。

○1日目

テーマとしては、初めて会った人とその場で仲良くなってみるをテーマにいろいろワークをしていきました!
……の前に、六大学対抗(立教・早稲田・東大)のわんこそば勝負を繰り広げることになりました()

そんなお腹に爆弾を抱えた状態で、現地の女子高生や大学生さらに地域おこし協力隊の人を交えながら好きを伝えるプレゼン講座の特別編をやってみました。
第一講をベースに基本的には人と対話する楽しさや無茶苦茶にやってみて本当の自分を解放することができたようです!

宮沢賢治っぽい喫茶店でインタビューワーク

その後、花巻夜話というタイトルで市役所の方や花巻(生まれ)の方なんかも交えて、花巻のことに限らず、地方創生全体の根本的な問題について話し合うことができました。

…..と、思いきや、その根本的な問題を人生の中でとんでもないけどごくごく当たり前だと思えるような手法で解決していく案がでていました。
「とりあえず、100均の傘を300円で売るところから始めてみなよ」
….と、言われた次の日に私たちがやったワークは…..

東北留学二日目 わらしべ長者

なんと、わらしべ長者。
イトーヨーカドーで200円で買ったものを交換しまくって、それを晩御飯にしてみるというワークでした!

北視点の旅では、とりあえず花巻場跡をぶらついてみたり、地元の女子中学生や女子高生の集団と絡み、写真を撮ってもらったり、ヒッチハイクで僻地に飛ばされたり….
最終的に

100円の団子 → おにぎりセット(298円)とパンケーキとチョコスティックとおにぎりストラップ
200円のハンカチ →お菓子の盛り合わせ→ ローストビーフ
ポンデリング2つ → ミスド5個と花巻人形と料理本
飴 → 飴と謎烏龍茶
チョコ → チーズ → ウインナー

に変わりました!

これらを変えてもらう過程で、ヒッチハイクしたり、地元の塾に立ち入ったり、目の前で買ってもらったり、寄せ書き書いてもらったり、ホワイトデーを振りまいたり、なんか女子高生や女子中学生と一緒に写真を撮ることになったりとなんだかもうよくわからないことになっていました。

どうやら、だんだん僕らのことが花巻の人たちの間に知れ渡っているみたいです。
明日明後日で一体何をすることになるのでしょうか….?
つづく!!

朝の大沢温泉。めっちゃ、気持ち良いです。

2日目の晩御飯は寄せ鍋。3日目の朝ごはんは早池峰山ヨーグルトとミシェルのパン。花巻産シナノゴールドにそれと交換した仙台産とちおとめ。

飯がうまい!

東北留学三日目 たくらみ



のんびりとスタート。1日目のワークショップに参加してくれたマルカンプロジェクトの大江郁弥(以下、いくみちゃん)に来てもらって、共同主催者・たかしくんの頭の良くなるワークをやってみる。

たかしくんのワークは、好きで伝えるプレゼン講座とは対照的に嫌いなものから物事を考える講座でした。

嫌いなものを見れば建前ではないストレートな本音がでてきていたような気がします。

その後、数学オリンピックの問題をみんなで解いてみたり、なんだか頭が良くなった気分。

「なんかそろそろ取材されてもよくない?」

という適当な思いつきから

「ちょっとテレビ局に連絡してみよーぜ!」

といくみちゃんにお願い。

すると、興味を持ってもらえたらしく、IBC放送の方から連絡がきた。

「五時までにどんなことをやるのかを教えてほしい」

と、残された時間はあと1時間半。ここから思いつきをフルに回転させて、企画を作ってみる。

マルカン十段ソフト。圧倒的ボリューム。

……と、言うほどテンションが上がらず、ふつーに雑談することに。

ここでいくみちゃんからの提案。

「花巻にいる誰もが先生になれて、自分の好きなものについて語れるような塾のようなものを作りたい!」

将来つくれたらいいな。といくみちゃんは付け足したが、北はそれを聞き逃さず

「未来にやろう。だったら今から始めてみよう!」

と、花巻大学の名の下に最後のやらかしを企画することになった。

「とりあえず」テレビ局に電話をかけてみた。
「とりあえず」お店の人に聞いてみた。
「とりあえず」目があった人に声をかけてみた。


すると、たまたま花巻スポーツランドの白畑さんがいらっしゃったり、たまたまマルカンの一階のカフェが会場として使えるようになったり、たまたま食堂でご飯を食べていた地元の方が来てくれたりした結果、立ち見も含めて20人くらいの人を巻き込んで花巻大学が開催されることになったのです。

ここには、初日の宿・御宿玉川の照井さんやたまたまフラッとやって来たマルカン復活と今回のツアーの仕掛人の小友さんなど実に多くの人がイベントに顔を出していただけることになりました。

東北留学最終日 花巻大学

会の内容としては、声をかけた地元の講師の人たちに各テーブルに分かれてもらってゼミ形式の講義をおこなっていただき、その後にたかしくん&北のサンプリング(人生紙芝居)を聞いた後、東北留学組が語りたいことを語り、白畑さんが花巻の自然・アドベンチャーを語り、みんなで花巻について語るといった内容でした!

僕らが気がつかないうちに、このイベントはいろんな人に拡散されていたようで、実にいろいろな人が花巻大学についてシェアしてくれていたようです。

一番驚いたのはまちがいなくこれでしょう。

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地元の新聞(岩手日報)に出てしまいました

生まれも育ちも福岡県で、大学も東京なのに、初めての新聞出演はなんと岩手。

その場の勢いとノリだけで、新聞にまで出れてしまったのが恐ろしくて仕方がありません…..

マルカンで行われた花巻大学は大盛況のうちに幕を閉じましたが、その後引き続き行われた東北留学で留学組が待ち望んでいた「あの人」が会場にやってきたのです…. 

カレーだJのジロー・スガワラさん!!!!

美味しいカレーはもちろん、どんぐりとファンタジーを届ける移動販売のカレー屋さん!

そもそも、私たちがなぜジローさんに会いたかったかと言うと、トオルさんから「花巻にはリアルわらしべ長者を続けている男がいる」との噂を聞いていたので、わらしべ長者を経験した私たちはジローさんに会いたくて会いたくて仕方がなかったのです。

そんなジローさんとHate them ALL FEST(花巻)のショコラさんのおもしろすぎる卒業公演を聞いた後に、各自感想を言って花巻を去ることになりました。

帰りの車に乗り込むと、全力でツボにはまっていた白鳥たちが私たちを祝福してくれているかのように空で鳴いていました。

その後、白畑さんの家に向かい、北一人を置き去りにして東北留学組は東京に戻る。

その後、北は白畑さんの補習を受け、実際に自然体験するのであった….

朝起きると大雪。

スノーモービルに乗せてもらいましたが、そのまま北上川に突っ込んで、冬の北上川をバタバタ泳ぐことになりましたとさ。

白畑さんをはじめとして、これから一生花巻に関わっていくことがここで確定しました()

東北留学報告会

東北留学は本当に衝撃的で、初めて1人から三万円も預かったし、その結果も凄まじいもので、これを誰かに引き継ぐためにはどうすればいいのかということをかなり考えた。

「じゃあ、参加した人たちに聞いてみるか」

そんなノリから始まった報告会。

東北留学の利益(と言っても70円くらいしかなかった)はたかしくんと折半(したっけ?)だったが、東北留学&宮古島留学合同報告会の終わりにたかしくんから突然一万円もらったことにより、ますます自分自身を振り返る必要があった。

今まで、「みんなのおかげ」と言いながらここまで来ただけに、この作業は非常に勇気が必要だった。

なので、この記事自体かなり慎重になって書いていた。

だって、自分の作ったものには自信があったけど、自分自身にまだまだ自信が持ててなかったしね。

花巻×宮古島合同報告会レポ

たかしくん、エーデルワインは?
ああ、宮古島でみんなで飲んじゃった。

どうやらエーデルワインは宮古島まで広がったらしいぜ!!!
やったぜ!!!

さて、今回はアド部と成増学園の合同お土産報告会でした。
東北留学組はメンバーの半分、宮古島組はなんと新潟から今日のためだけに来てくれたそうです。すげー。

アド部側も成増学園側も結局のところ、自分たちのツアーで何をやったのかがよくわからないために、人に「俺たちの」ツアーの魅力を知ってもらえるためにはどうすればいいのかにかなり悩んでいました。

今回は東北留学組のメンバーがきちんとした記録をとっていたこと&宮古島留学からの日が浅かったこともあり、この奇跡のようなツアーの魅力が人に伝わる形で考えられるようになりました。

改めて、今回のツアーを振り返ると、東北留学と宮古島留学の特性は全く真反対であるのにもかかわらず、そこにはなんとなく花巻スピリットが受け継がれていたような気がします。

花巻の方は、主催の北が作り出した無茶苦茶に参加者&たかしくん&多くの花巻市民(一部、北上&盛岡市民)が巻き込まれることによって、関わった人たちの中に眠る「自分で決めたできない」の鎖をどんどん断ち切るような感じになり、たった四日間で花巻が地元になったような気分でした。
一方で、宮古島の方は一人が街を丸ごと無茶苦茶にかき回した東北留学とは対照的に、参加者一人一人の自主性を極限まで解放することによって、ツアー参加者が家族のように仲良くなれる時間を作り出したようです。

わらしべ長者は0円スタートに進化して、さらに大量の食材を獲得し。

ツアー参加者全員が講師になった花巻大学が、ツアー参加者内でお金のやりとりが発生する講座ラッシュになったり。

残り3分で閉まるアイス屋さんに電話をかけて駆け込んだのは、東北留学のとりあえずお願いしてみる精神から生まれていたり。

簡単に新聞にのれるとわかった瞬間に、宮古島でも岩手でも新聞に載ってしまったり。

圧倒的観光コンテンツがある夏の宮古、その一方で良いものはあるがひたすらにマニアックな冬の岩手。

どちらも三月のツアーなのに、全く反対で、全く似たスピリット。

報告会は8時に終了したものの、ツアーを通しての経験座談会は夜の10時を過ぎても行われ続けましたとさ….

東北留学ができるまで

花巻留学はメンバー全員がどこか世間では考えられないようなことを成し遂げてた人たちで、ある意味全員光るものがあった。

しかしながら、いまいち踏み出すことができずにいたり、なんだか自分に自信がなかったり、自分の光るものがお金にならなかったりなどいろいろと困っていたのだ。

今回の花巻留学のキーパーソンのような人は数多くいるけれども、ここでは周りの証言を基に、成増学園そのものである北 祐介という男に焦点を当ててみる。

これは単なる自慢ではない。今後、成増学園の発展および北自身の成長を考えるための記録である。

「俺の考えを1秒で実現する持つ男。それがうまく噛み合ったからこそ今回のツアーの成功がある。」

アドベンチャー部の創始者であり、今回の共同主催者である中川崇氏のコメントである。

北 祐介は以前から「飛び込み力がある」「行動力がある」「突破力がある」「巻き込み力がある」など言われているが、正直なところ一体それが何なのかを全く理解していない。

むしろ、北 祐介自身が一番自分の能力について疑いを持っているし、そもそもそんな能力はだいたいの人が持っているものであって、北 祐介そのものを定義するものではないとすら思っている。

今回のツアーの参加者は、全て北の知り合いだった。

「何をするのか全くわからないけれども、とりあえず北の企画だからきっと面白いはず。」というすごく適当な理由で集まった三人であった。

彼らは北 祐介という男のすごさについて本人よりも知っており、もはやツアーをプレゼンする必要が皆無な状態であった。

逆に、北自身このツアーの魅力が何かを全く理解しておらず、このツアーをどのようにプレゼンするかが思いつかず、集客にかなり苦戦していたのだ。

東北留学組についてはきちんと価値を期待していた上に、予想の斜め上をいく展開に、「え?6万円くらいするのかと思った」とのコメントをだしていた。

北 祐介はこのツアーをかなり大安売りしてしまったことにあとで気づかされたのだ。

では、北 祐介の飛び込み力や突破力がいったい何なのかについて、このツアーがこんな形になった経緯を説明することにしよう。

北 祐介が花巻を訪れたのは去年の春休み。とにかく旅行がしたかったので、地方創生系のイベントで交通費が支給されるものをひたすら探していたところ、「イーハトーブアカデミー」という参加無料&交通費半額支給というイベントをfacebookで発見し、「青春18きっぷ二枚買って片方売ればただで東北一周できるではないか!」という下心丸出しの動機から花巻に行った。

そこで、岩手大学の柴田さん、大迫の地域おこし協力隊の鈴木寛太さんや市役所の吉田さん、マルカンの救世主・小友康弘さんと出会い、最終的にその日は「今晩泊めてください」という一言から小友さんの家に泊まったのだ。

その次の日、小友さんから地元のパン屋・ミシェルや大沢温泉に連れていってもらい、マルカンの思い出話なんかを聞いた後に花巻を後にした。

このとき「また来ますね!」と小友さんに言っていたが、また花巻に行くことを全く考えていなかった。

その2日後にマルカンデパートの閉店が発表され、「は?マルカンソフト食べられないじゃないか!!!」という思いを胸に、facebook上でマルカンの一連の流れを見ることになったのだ。

そして、なんとなくマルカンのソフトを食べて見たいなぁなんて思いながら日々を過ごしていた。

家庭教師のことでいろいろとソリが合わず、もめていたところに、たかしくんが登場。

「ツアーやらない?」

の一言で、いろいろとアイデアが降って来た。

当のたかしくんは、宮古島でツアーをやりたがっていたが、ツアーの行き先は北が決めた。

そこでなぜか出て来たのが「花巻」

どうせやるなら、マルカンのための貢献活動としてやってみたい……というよりかはあの日食べることができなかったマルカンソフトを復活させて、食べたいという思いつきであった。

しかしながら、正直なところあのハチャメチャな東北一周旅行の中での花巻の魅力は薄かった。この時点で北が覚えていた花巻のいいところは吉田さんや寛太さんや小友さんのフランクさ、エーデルワインとミシェルのパンが以上にうまかったこと、田舎っぽい見た目がセロ弾きゴーシュっぽかったところと、JOE’S LOUNGEがオシャレなことと、大沢温泉が混浴であることくらいだった。

「やばい。花巻ぜんぜんわからないぞ。」

この頃、北自身のコンテンツである「好きで伝えるプレゼン講座」がじわじわと実行に移され始めた段階であったので、とりあえずこれをツアーに組み込むことを前提にした。

そして、小友さんや吉田さんや柴田さんそして寛太さんに花巻のいいところを必死に聞き出し、どこが安く泊まれるかなんて情報をひたすらに仕入れた。

さらに柴田さんの紹介により、若者の力で花巻を盛り上げようとする学生団体HANALE→の内田さんと知り合い、最終的には花巻の地で会うことになったのだ。

またJOE’S LOUNGEを是非とも使いたかったので、小友さんに店主・高橋亮さんを紹介してもらったのだ。

その後、たかしくんと岩手に視察に行こうということになったが、交通費の関係でたかしくんと一緒に視察に行くことを断念し、一人で再び花巻に訪れることになったのだ。

ただ、普通に花巻を視察しても面白くないので、花巻か夜行バスの出発地である盛岡で開催されているイベント探し、それに参加することにしたのだ。

花巻に到着するやいなや、吉田さんとの待ち時間まで暇だったので、トオルさんに会いに行く。ちなみに、このときたまたまJOE’S LOUNGEが一周年記念でモーニングを実施していたため、通常では空いていない時間帯でトオルさんとコンタクトを取ることができたのだ。

そして、モーニングに来たお客さんをゲリラ取材してローカル花巻グルメなんかを聞きながら、花巻のことについて少しずつ詳しくなっていった。

その後、まだまだ暇だったので花巻を散歩。手当たり次第、チラシをばらまいていき、まなび学園なども発見して、花巻で使えそうな場所のリサーチをプラプラとしていたのだ。

そして吉田さんと合流し、たかしくんから言われたいろいろな無理難題をお願いしてみる。大半は通らなかったものの、なんやかんやで吉田さん一人が協力できる部分に関してはかなり積極的に協力してもらえることになった。本当にありがとうございました。ミシェルのパンなんかも奢ってもらった。やっぱりうまい。最高。

その後、ひたすら花巻を散歩する中で、マルカンの横になにやら妙な建物があったので、そこに入って見た。

すると、そこは宮沢賢治の展示をしてある施設であったが、その片隅にマルカンの写真集があった。

その写真集を開いてみると、どうやらマルカン復活には小友さんの他にもう一人役者がいるということがわかったのだ。

その名前は大江郁弥、いくちゃんである。マルカン復活のために約10000人もの署名を集めたスーパー女子高生である。

「この大江さんの協力が得られたのであれば、このツアーはもっと面白くなるだろう。」

そんなわけで、いくちゃんになんとかしてコンタクトを取ろうと試みた。facebookで名前を検索しても全く見つからず、同姓同名のよくわからない人が出てくるばかりであった。しかし、マルカンプロジェクトのfacebookページは見つかったので、まだマルカンプロジェクトが存続していることを願いながらメッセージを送ったのであった。

マルカンプロジェクトからの返信を待ちながら、花巻を散策。歩き疲れたので、駅に戻り返信を待つ。ついでに近くの高校生に絡んでみる。ツイッターを交換した。

盛岡へ向かい、ネットカフェで一泊。のんびり過ごし、次の日に内田さんとツアーのことを話す。内田さんと一緒に踊ろうサンダーバードで二郎ファイトをしながら、岩手の車事情についての話を聞く。

その後、内田さんに「今日はとあるイベントに参加する」ということを伝えたところ、なんと内田さんのバイト先であったことが判明した。

その塾の名前はSora。イベントの名はパイセンcafe。Soraはとても素晴らしい塾であった。パイセンcafeが終わった後、そこに来ていた高校生や中学生やらと絡んでみる。

そして、Soraの塾長・山崎智樹さんの紹介で岡崎慎司の母の講演会に出席し、世にも奇妙な世界を見ることになったものの、そこでも岩手盛り上げ仲間を発見するのであった。

花巻視察を終えた頃、すでに北の頭の中にはだいたいのツアーのイメージができあがっていたのだ。

ちなみに当初のスケジュールを簡単に説明すると

・1日目:好きで伝えるプレゼン講座第一講&第二講
・2日目:好きで伝えるプレゼン講座第三講→地元の人と飲み会→民泊
・3日目:わらしべ長者→大沢温泉で闇鍋
・4日目:スキーとか宮沢賢治の学び→銀河鉄道の哲学対話
・5日目:最終花巻プレゼン作成&発表。一宿一飯の恩義。

とやたらに宿泊場所の変更が多く、北の体力に合わせられたスケジュールであった。これを見たたかしくんと寛太さんは「これじゃあ、みんな死んじゃうよ!」とのコメント。たしかに、このスケジュールは死ねる。

そして、苦渋の決断の末、ツアーを四日間に、1日目と2日目のプログラムを1日に収縮し、2日目のわらしべ長者の時間を大幅に削り、残りの二日間はたかしくんに委ねることにした。

そして勧誘はそれなりにツアー当日を迎えることになってしまったのだ。

……なんてことを北はするするとやっていたらしいが、これが他の人にはかなりすごいことに見えるらしい。ちなみに、体力面以外はみんなできるものと思っていたりする。

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